店主ごあいさつ

 ジョージアを初めて旅行で訪れたのは1991年5月、まだ「グルジア」と呼ばれていた頃でした。ソ連崩壊の半年前です。個人が自由に旅行することはできず、ソ連国営旅行社インツーリストにホテルや航空便など旅程の基本部分を決めてもらう時代でした。事前に提出する訪問希望先のリストにモスクワ、タリン(エストニア)、キエフ(ウクライナ)と並んで、「グルジアも面白そうだ」と思い、トビリシと書き込んだのです。ついでにバクー(アゼルバイジャン)も入れておきました。

 当時、ジョージアで何を見聞したか、細かいことはほとんど忘れてしまいました。しかし、鮮明に覚えていることがあります。トビリシの街の中をぶらついていた時、若いジョージア人女性に英語で話し掛けられ、お土産店を案内してもらったことです。色鮮やかなラグやコニャックを買いました。そして驚いたことに、その女性は「家に遊びに来ませんか。晩ご飯をご馳走します」と言ったのです。私が同意したのは言うまでもありません。

 トビリシ郊外に立ち並ぶソ連風のアパートの中にある彼女の家に行くと、大学生の双子の弟や両親が出てきて、大歓迎を受けました。そして、一緒に食卓を囲みながら、彼らから「今アメリカはどうなっているのか」とか、「モスクワでのドルとルーブルの交換レートは幾らだったか」などと質問攻めに遭ったのです。ソ連崩壊まであと半年、体制が揺らぎ始める中で普通の市民は外からの情報に飢えていました。

 ジョージアの家庭料理は、とてもおいしかったのを覚えています。「マドローバ」(ありがとう)、「ゲムリエリ」(おいしい)といったジョージア語を教えてもらい、「ゲムリエリ!」を連発しながら楽しく食べ、ジョージア自慢のワインやコニャック、ウォトカもいただきました。その時、「へえ、こんなところにおいしいワインがあるんだな」と初めて知りました。それが20年以上の時を経て、ジョージアワイン専門店を営むきっかけになったのですから、人生とは面白いものです。

 実はそれから2回目のジョージア行きまでは10年以上間が空いてしまうのですが、その時の訪問でジョージアワインのおいしさに改めて瞠目し、特にムクザニという赤ワインに惚れ込みました。それを機に本格的なジョージア通いが始まり、オレンジワインの存在を知って、日本にジョージアワインを紹介したいと思い立ちました。それが当店を開いた理由です。

 私はジョージア各地の小さなワイナリーを訪ね歩くのが大好きです。そして、生産者と仲良くなり、ブドウ畑やマラニ(ワイナリー)を見ながら、どのような思いでワインを造っているのか話を聞かせてもらいます。その中で、自然と魅かれていったのがナチュラルワインでした。

 ブドウ畑には下草が豊かに茂り、ヒバリが巣を作っていました。除草剤や化学肥料を使わない土の中では、微生物が盛んに活動し、ふかふかの土になります。土が健康であれば、やたらな病虫害は発生せず、農薬をまく必要もありません。昔ながらの「ボルドー液」でこと足ります。クヴェブリ(素焼きの甕)を使い、ブドウにつく野生酵母でワインを造る営みには、自然な命の連鎖があり、人類がブドウ栽培とワイン造りを始めた文明史の始源の風景にどこかで通じていると感じました。

 こうしてできたジョージアのナチュラルワインはまさに自然の恵みです。1本1本に個性があります。何十万本も同じ味にするために、さまざまな添加物を使う大工場ワインとは全く違うものです。それを多くの人に味わってほしいという店主の思い、長い口上となりましたが、お汲み取りいただければ幸いです。

 

サカルトベロ店主 
奥山昌志