ジョージアってどんな国?

プロフィール

 ジョージアは黒海とカスピ海に挟まれた小さな国です。面積は北海道より一回り小さい約7万km²で、人口は約400万人。5000メートル級の峰が連なる大コーカサス山脈から黒海沿岸のビーチリゾートに至るまで、多様な自然環境に恵まれ、温暖な気候を利用したワイン生産が盛んな国として知られています。

 国旗には五つの十字架があしらわれています。4世紀にキリスト教を国教として採用した世界で2番目に古いキリスト教国です。古来、多くの民族が行き交う交通の要衝で、幾度も他民族支配にさらされながらも、キリスト教信仰やワイン造りの伝統文化を守り通してきました。

 旧ソ連を構成する共和国の一つ(当時の呼称は「グルジア」)でしたが、1991年に独立しました。

 ジョージア出身の有名人には、ソ連の指導者スターリンや大相撲の栃ノ心、バレリーナのニーナ・アナニアシビリらがいます。

ジョージア風景

グルジアとジョージア

 ジョージアはかつて「グルジア」と呼ばれていました。しかし、2014年10月に来日したマルグベラシビリ大統領は、安倍晋三首相との会談で、呼称を「ジョージア」に変えてほしいと要請。これを受けて、日本政府は2015年4月から公式に呼び方を「グルジア」から「ジョージア」に変更しました。

 実は「グルジア」というのはロシア語で、「ジョージア」は英語です。ジョージアは帝政ロシアからソ連に至るまで、長くロシアに支配されてきた歴史があり、反ロシア感情には根深いものがあります。
1991年のソ連崩壊に伴って、ジョージアはようやく独立を獲得しましたが、その後もロシアとの対立が続き、2008年8月にはついに両国の戦争が勃発、ロシア側が一方的な勝利を収めました。

 この時、戦争の舞台となった南オセチアを含むジョージアの領土の約2割は、今も実質的なロシアの支配下にあり、両国は険悪な関係が続いています。呼称の変更を求めたのは「ロシア語で呼ばれたくない」というジョージア側の気持ちの表れだったのです。

 なお、ジョージア語では国名は「サカルトベロ」と言います。「カルトベリ人の地」という意味だそうです。手前味噌ですが、当店の屋号はここから付けました。

 ジョージア語はとても古い言語で、ロシア語やトルコ語、アラビア語、ペルシャ語といった周辺の言語のどれとも似ていません。一説ではメソポタミア文明のシュメール語に似ているところがあるそうです。言葉も含め、ジョージアの文化はとてもユニークです。その独自性へのオマージュとして、サカルトベロを屋号とさせていただいた次第です。

ギリシャ神話にも出てくるジョージア

 ジョージアは黒海に面しており、古代ギリシャ時代から「海の道」を通じて地中海世界とつながっていました。
ギリシャ神話にもジョージア西部にあったコルキス王国(BC.13〜1世紀)が出てきます。それが恋あり、復讐あり、魔術あり、秘宝を奪う大冒険ありのアルゴー船と王女メディアの物語です。

 ストーリーの発端は、古代ギリシャのある王国で、兄から弟が王位を奪うという乗っ取り劇でした。兄の子イアソンは成人して、王位の返還を要求します。すると王は言います。「海の果てのコルキス王国に金羊毛という秘宝がある。それを奪ってきたら、王の座を返してやろう」。イアソンはアルゴー船を建造して、50人の勇士を集め、長い航海の果てにコルキス王国にたどり着きます。

 金羊毛を求めるイアソンに対して、コルキスの王様はいろいろと難題をふっかけます。しかし、王の娘メディアがイアソンに一目惚れ。魔術を使ってイアソンを助け、最後には秘宝を守っていた眠らないドラゴンも魔術で眠らせ、金羊毛を奪わせたのです。二人はギリシャに戻る航海の途中、結婚しました。

 実は、メディアがイアソンに一目惚れしたのはキューピッドが矢で射たからでした。恋のキューピッドというのはここから来ています。メディアは激しい愛と、それと裏腹の憎しみの間を揺れ動いた女性でした。イアソンを愛するあまり、魔術で殺人まで犯して助けようとするのですが、それが裏目に出てイアソンは故国で王になれず、逆に追放されてしまいました。

 気持ちが冷めたイアソンはメディアと離婚し、別の女性と結婚します。すると裏切られたメディアは復讐の鬼と化し、相手の女性を焼き殺し、イアソンとの間に設けたわが子までも手にかけたのです。この復讐譚は、エウリピデスが「王女メディア」という戯曲に仕立て上げ、ギリシャ三大悲劇の一つになりました。

 そして時代は下り、現代日本で大ヒットしたコンピューターゲームRPG「Fate/Grand Oder」と「Fate/Stay Night」でもイアソンとメディアがキャラクターとして登場していますが、実はジョージアとは切っても切れない深い縁があったのです。

ワイン発祥の地

 ジョージアがワイン発祥の地であることは、実は最近まであまり知られていませんでした。ジョージアと欧米の研究者による本格的な共同調査の結果が発表されたのは2017年11月です。それによると、ジョージアの首都トビリシ南方の遺跡ガダチェリリ・ゴラで発掘された土器の破片からワインの痕跡が検出され、測ってみたら約8000年前のものであることが判明したということです。これが今見つかっている世界最古のワインです。

 それまで世界最古のワインとされていたのは、イラン西部で見つかった約7000年前のものでしたので、一気に1000年も時代を遡ったことになります。

 ワイン発祥の地をめぐっては、メソポタミア(現在のイラク)や中国とする説もありましたが、トルコ東部からコーカサス(ジョージア、アルメニアなど)にかけての一帯とする「ノア仮説」が最有力でした。

 ノア仮説というのは、旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」にちなんだものです。そのメインストーリーは、神の怒りで大洪水が起き、箱舟に乗ったノアの家族と動物、鳥以外は全滅したというものですが、ノアが大洪水が引いた後の大地にブドウを植え、ワインを造ったという後日談が出てきます。人類のワイン造り事始めというわけです。そして、トルコ東部のアララト山には、箱舟が漂着した場所だという伝説があるところから、この辺一帯をワイン発祥の地とする説にノアの名前が冠されました。

 ジョージアでの共同調査は、それを確かな証拠で裏付けた画期的な成果でした。米紙ニューヨーク・タイムズや英BBCなど欧米のメディアは大々的に報じましたが、日本での報道はほぼ皆無でした。しかし、それから1年経った2018年10月、ギネスブックにも「世界最古のワイン」として登録されましたので、ジョージア発祥説は世界的に認知されつつあると言えるのです。

トビリシ近郊の遺跡から発掘された土器の壷

なぜ続いた? ジョージアワインをめぐる謎

 ジョージアを知れば知るほど一つの疑問が浮かんできます。8000年前にジョージアで生まれたワイン造りはなぜ途切れることなく、今まで続いてきたのかというものです。

 ジョージアの歴史は、イランやトルコ、ロシアなど周辺の大国からの侵略が繰り返され、独立を失って属国になっていた時代もあったからです。侵略されるたびにブドウ畑は荒らされ、ワイン造りを禁止されたこともあったと言います。

 米国のエミリー・レイルズバック監督によるドキュメンタリー映画の秀作「ジョージア、ワインが生まれたところ」(日本では2019年に公開)は、ソ連時代にクヴェブリによる伝統的なワイン造りが破壊されかけたことを関係者の証言で明らかしています。

 ソ連はジョージア(当時の呼称はグルジア)をワイン供給基地にするため、巨大な工場を次々に建設しました。ジョージアには500を超える固有のブドウ品種があるのに、ソ連当局は栽培が容易で収量の多い18種だけを許可したということです。共産党政権の粗雑な効率主義、ノルマ主義を彷彿とさせる話です。

 まさに「悪貨は良貨を駆逐する」で、大工場によるワインの大量生産の陰で、クヴェブリによるワイン造りは風前の灯火というところまで追い詰められました。しかし、1991年のジョージア独立後に奇跡的復活を遂げました。

 歴史の中で、おそらくジョージアのワイン造りは繰り返しこの種の危機に遭遇したのではないでしょうか。ジョージアはなぜワイン造りの伝統を続けることができたのか? この問いに、映画の登場人物の一人はこう答えます。「ワインはジョージア人のアイデンティティーだからだ」と。

 ワインのあるところ、歌が生まれます。杯を交わし、一緒に歌うことが人々の団結を生み、民族としての統一が保たれました。侵略に次ぐ侵略を受けながら、ジョージア民族が滅亡しなかったのは、人々の絆を保つワインと国土の象徴としてのブドウ畑があったからなのです。

 ジョージアには「スープラ」という独特の宴会文化があります。「まず神に乾杯!」 「平和に乾杯!」「われわれの先祖に乾杯!」 タマダという宴会進行役の音頭で乾杯が繰り返され、皆で歌います。結婚式でも葬式でも、このスープラが催され、初めて会った人でも昔からの知己のようになるそうです。